群馬県の六合赤岩の散策を終え(フィルムと歩く日本の伝統的集落 群馬県・六合赤岩編)、東京に帰ろうと思ったが、長野県の海野宿をカーナビで調べてみると、1時間ちょいで行けそうなことがわかった。
あまり位置関係がわからなかったけど、群馬県の西部は軽井沢のちょっと北なのか。
浅間高原や嬬恋村を抜けて、小諸の西にある海野宿(うんの)を目指す。
浅間高原……、今から27年前の1988年、氷室京介がソロになってはじめてのツアーが開催された場所だ。
中学生だっただいきちは、神奈川県から鈍行で軽井沢駅まで行き、そこからバスで会場まで行った。
軽井沢駅の駅舎は今とは違い、秘境駅のような古い建物だった。
大雨の中、びしょびしょになりながら見たコンサートのことはいまでもよく覚えている。
とにかく人が多くて、とにかく雨がすごくて、7月だったけど凍えそうに寒かった。
コンサート終了後、バスでピストン輸送するけど、何時間も待たされた。
結局、軽井沢駅を翌朝の始発で出て、自宅に着いたのは午後だった。
浅間高原の濃い緑の草原を眺めながら、そんな夏の日のことを思い出していた。
CONTAX 137MA YASHICA ML 28mm f2.8 Kodak UltraMax400
海野宿は寛永2年(1625年)に北国街道の宿駅として開設された。
北国街道とは、中山道と北陸道を結ぶ街道で、佐渡で採れた金の輸送、北陸の大名の参勤交代、善光寺への参詣客など、宿場は大いに賑わっていたという。
Mamiya RZ67 ProⅡ SEKOR 110mm f2.8 Fujifilm PRO160NS
寛保2年(1742年)の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と賑わっていた。
また、江戸時代後期からは養蚕も盛んになり、明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わっていった。
この伝統的な家並みが保存されていることから、昭和62年(1987年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
Mamiya RZ67 ProⅡ SEKOR 110mm f2.8 Fujifilm PRO160NS
CONTAX 137MA CarlZeiss Planar 50mm f1.4 MMJ Kodak UltraMax400
CONTAX 137MA CarlZeiss Planar 50mm f1.4 MMJ Kodak UltraMax400
CONTAX 137MA CarlZeiss Planar 50mm f1.4 MMJ Kodak UltraMax400
Mamiya RZ67 ProⅡ SEKOR 110mm f2.8 Fujifilm PRO160NS
CONTAX 137MA CarlZeiss Planar 50mm f1.4 MMJ Kodak UltraMax400
CONTAX 137MA CarlZeiss Planar 50mm f1.4 MMJ Kodak UltraMax400
CONTAX 137MA CarlZeiss Planar 50mm f1.4 MMJ Kodak UltraMax400
Mamiya RZ67 ProⅡ SEKOR 110mm f2.8 Fujifilm PRO160NS
建物の2階にせり出している瓦と組み合わされた意匠は、「袖うだつ」と呼ばれる明治時代のもの。
江戸時代のものは、「本うだつ」と呼ばれる。
どちらも裕福な家でなければできるものではなかったことから、「うだつが上がらぬ」という言葉が生まれたという。
CONTAX 137MA CarlZeiss Planar 50mm f1.4 MMJ Kodak UltraMax400
建物の2階の出格子には、長短2本ずつ交互に組み込んだ「海野格子」という海野宿特有の模様を見ることができる。
そのほか、「出桁」という江戸時代の旅籠屋造りのものや「気抜き」という明治時代の蚕室造りの建物の象徴など、その時代特有の意匠を見ることができ、楽しく散策することができた。
道路の脇を流れる水路も清涼感あふれ、町並みの美しさでは、今までで一番だ。
ただし、この道路は車の往来が多いのが残念なところ。
そんなこんなで、1泊2日の重伝建を巡る旅 第2弾が終了した。
福島県・大内宿、前沢、栃木県・栃木、群馬県・桐生、六合赤岩、長野県・海野宿を回り、総走行距離は、850kmだった。